グリロケのWTBで一際目立つ選手…といえば「尾又寛汰」の名前が頭に浮かぶのではないでしょうか?
一度ボールを持てば、きっと何かしてくれる。試合中に熱いプレーで会場を沸かせてくれるインパクトプレーヤーです。
NECグリーンロケッツに移籍してプロ3年目。インタビュー時、30歳を目前と控えた彼に、現在の心境を聞くと、
「ラグビーに関してはよりギラギラしていきたいですよね。そういう意味では初心に戻りたいというか。」
と、その気迫は若手の選手のそれを超えています!
5歳からラグビーを始め、小学校時代はラグビーに行くのが嫌なこともあった。
そこから「褒められたい」というモチベーションをバネに、小さい目標を一つずつクリアしてプロのラガーマンという場所に辿り着いたカンタ選手。
ラグビー歴25年、全力疾走のスピードを今なお更新し続けている、尾又選手の人生の軌跡をぜひご覧ください!
(編集・酒井公太 写真提供・ひーちゃん)
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ホンダヒートでマノと海斗さんに弟子入り。プロ生活の基盤ができた。
ー 大学を卒業後はホンダヒートに入団されるんですよね。
尾又選手 はい。そうですね。センターとして入りました。ただ、その時は明治大学に進学した時よりも気楽な感じだったというか…。
最初は勘違いしていたんですよ。「ホンダヒートなら試合に出れそう」くらいに思っていたんです。
その当時、ホンダは二部リーグにいましたし、試合に出れそうだからホンダを選んだという所が大きかったですね。
レメキ選手がいて、三重にあるくらいのイメージしかなかったです。プレースタイルも何も知らなかった。
ー 入団してすぐに試合には出られたんですか。
尾又選手 いや、出れなかったですね。一年目は公式試合に一回しか出れなかった。しかも途中出場でした。
正直、戦力と思われてなかった。
しかも、その当時に同期でウィングのポジションをやっていた藤崎ってやつが僕の代わりにセンターで毎試合出て、活躍しているんです。それがスゴイ悔しかった記憶がありますね。
ー ホンダの主力に食い込むキッカケはどのように作ったんですか?
尾又選手 実は、マノ(レメキ選手)に弟子入りしたことがキッカケだったんです。
もともとマノってほとんどホンダの練習には合流できない選手だったんです。日本代表戦の招集が多すぎて。
ただ、ジョージアとの一戦でマノが大怪我して、ホンダの練習にリハビリでよく顔を出すようになったんです。
それでマノといつも一緒にいたのが森川海斗さんっていう先輩だったんですが、この二人がとにかくフィジカルを大事にするタイプだったんですね。
その二人が僕に目をつけてくれて、それまでは苦手だったウェイトトレーニングとかをみっちり叩き込まれたんです。
とにかく習慣的にトレーニングを行うことを身に付けさせてくれたというか。
僕が二日酔いみたいになっている日も、僕の寮の部屋まで迎えに来て引きずられながらジムに連れて行かれて、吐くまでやらされました。
さらに、この二人はホンダ歴が長かったから「ホンダのラグビー」とはどういうものかということも勉強させてもらったんですよ。
そうなってくると僕の「認められたい欲」がまた出てくるわけですよ。この二人と試合に出たい。って気分になってくるんです。
というのも、二人は当時常にレギュラーで遠征試合に行くんです。
選ばれない僕は三重で居残りでトレーニングです。それがめちゃくちゃ寂しい。だから、早く追いつこうと思って頑張ってトレーニングしてました。
その後、ポジションがセンターからウイングに変更になって、ウイングのことも勉強して、入団して2年目にトップリーグ公式戦・初キャップに呼ばれたんですよね。コカコーラと長崎での試合でしたね。その時に初先発でハットトリックを決めたんですよ。
それは本当に嬉しかったですねー。
ー プロラグビー選手らしさ。というマインドをそこで学んだんですね。
尾又選手 はい。ホンダに入ってからは自分の考えだけじゃキツくなってきてたんですよ。他の人の意見も取り入れないと大変になってきてたんです。その時に聞いてみたのがマノと海斗さんだったんです。
だから、二人には本当に感謝してますよ。
今では僕も習慣的にトレーニングしないと気持ち悪い体になっちゃってますけど、それはあの二人の影響が大きいからなんですよ。
プロ生活の基盤、大事にしている部分を完全に作ってくれました。
そういえば、海外のプロ選手と仲良くすることを教えてくれたのも海斗さんでした。
海斗さんって英語がペラペラなんです。だから、海外から来ているホンダのプロ契約選手たちとも一緒にいることが多くて、そこに僕も混ぜてもらったんです。
そうするとプロ選手たちが何を考えているのか分かってくるんです。海外のラグビー選手ってオンとオフの切り替えがスゴイ上手なんですよ。
ラグビーのことをずっと考えているというよりも、やるときはとことんやる。それ以外のプライベートも大事にしてトコトン楽しむ。
僕はその当時、社員選手だったからこそ、プロ選手たちの考えに触れることが出来たのはスゴイ面白かったし、刺激になりました。
僕もプロになりたいなという気持ちが出てきたのもこのあたりですね。